北海道地震のあと行かなければ、経験しなかったこと〜厚真町と千歳市を訪ねて | ごちそう♡さがしドットコム

北海道地震のあと行かなければ、経験しなかったこと〜厚真町と千歳市を訪ねて

 

北海道胆振地震から1ヶ月が過ぎてしまいました。

 

気になっていた北海道の様子。

先日、新冠にある牧場へ出張があったので、一日早めて

震度7を記録した北海道厚真町を訪ねて来ました。


地震の被害もさることながら、全道に及ぶ停電が北海道全体の人々の生活、経済、

そして農業の基盤を大きく揺るがしました。

 

わたしが訪ねたかったのは、厚真町吉野地区。

崩れた山林がまるごと土砂となって稲刈り前の田んぼに流れ込んだ空撮映像が目に焼き付いています。

一般のメディアでは避難所や市街地の人の多い地区が報道が優先されるので、

農村部の様子はほとんど知ることができません。

農業の被害状況をこの目で確かめたいと思いました。

 

 


厚真町吉野へ向かう道の途中、

北海道電力の子会社、北海道電工の車両が列になって通り過ぎました。

 

 

用水路が決壊し、土砂もろとも田んぼに流れ込んでいます。

 

 


吉野地区で目に飛び込んできたのは、

黄金色の田んぼに覆いかぶさる木と土砂とクマザサ。

まだ全くの手つかずでした。

 

厚真町は北海道胆振地方の中でも「厚真米」の米どころとして知られています。

 

厚真町役場HPによると、厚真町には明治の開拓時代から

「米づくりの苦闘」があったそうです。

明治22年頃、開拓者のほとんどは東北、北陸地方からで稲作に対する愛着も強く、

試行錯誤の末、この地が水田に適していることを発見した。

明治33年には字当麻内の佐羽内良助によって農業史上画期的な「客土法」が実証され、

粘度を水田へ投入する「客土法」で作付けの成育は抜群によくなった。

さらに用水、かんがい溝、排水などが整備され、品種改良にも取り組み、

米どころ厚真町の基礎をつくりました。

今では、JAとまこまいのブランド米「さくら米」(ななつぼし)の産地です。

 

 

 

収穫の秋を迎え、頭(こうべ)を垂れた稲穂の向こうに、

何百メートルにも渡って続く山崩れが見えます。

 

 

 

畑の奥の赤い屋根の建物。

家屋か農業用の作業倉庫なのかはわかりませんが、

後ろの山林が崩れて、基礎の足元から傾いていました。

 

 

 

収穫されずに放置されたブロッコリー

 

 

青い車は、わたしが新千歳空港で借りたレンタカー。

 

向こうの山は、斜面が崩れて山林まるごと道路と田んぼへなだれこんでいます。


 

 

それはそうと、厚真町吉野地区への道路は「通行止め」になっていました。

 

土砂崩れで道路にも地割れが起きて車が通れないというのです。

交通誘導係の人に、「吉野地区へ行きたいんです」と伝えると、

「この先を右へ曲がれば吉野地区への迂回路があります」と、教えてくれました。

 

 


土砂崩れが目立つ吉野地区。

 

田んぼの被害はどのあたりにあるのか、

路肩に停めては写真を撮ったり、徐行しながら走っていたわたしの車は・・・、

 

あろうことは、不審に映ったのでしょう。

 

警察らしい覆面のセダンに後ろに付けられ、

「前の車止まりなさい」と言われてしまいました。

 

えええ?

なんで?

 

と思ったものの、ともかく車を路肩に寄せますと、

若い警察官の二人組が後ろの車から出てきて、

「警察のものですが」と、生まれてはじめて「警官のバッジ」を見せられました。

黒革の手帳を縦に開くと、シルバーに輝くずっしりしたバッジです。


身に覚えはありませんが、

住民でもないのに、被災地域に入っているのは事実です。

 

「地元の方ですか。どこへ行かれるんですか」などと聞かれ、

「あ、あの東京からです。フリーの農業ジャーナリストで、吉野地区に田んぼの被害を見に来ました。」

 

と言われるままに、

免許証を見せました。

 

 

わたしはびびりました。

 

こういうときフリーって心細いです。

保証してくれる組織もなければ、

アポを取って取材に来たわけでもありません。

 

 

わたしはよくないことをしたのかもしれないなと思いました。

 

 

20代ぐらい若い人と、30代ぐらいのちょっと落ち着いた、

でも、いずれも若い警察官2人組でした。

30代の方はわたしの免許証の番号を書き写すと、車へ戻り、

わたしの素性を照会しているのでしょう。

 

その間に、若い方の警官は、時間つなぎ的に、

いろいろ話しかけてきます。

 

「どこから来たのか、いつ来たのか、いつまでいるのか、どこに泊まっているのか」

 

決して詰問する感じではありません。

きっと、いろいろ相手のメンタルを考慮して訓練されているのでしょう。

とても感じのいい世間話をっぽい、話し方でした。

(勉強になりました)

 

その会話の中で、

地震で倒壊したり、避難所に行って留守の空き家を狙って、

わざわざレンタカーでよそからやって来る空き巣がいるそうです。

だから、自分たちは札幌管内なんだけど、応援で厚真町に来ているんだ。と話してくれました。

 

なんとも、居心地の悪い、

いいようのない緊張感と、

そうか、ここは今非常事態なんだという現実を知りました。

 

 

ああ、本当は、千歳の生産者を2件訪ねたので、

酪農家さんと、そばの駒そば亭と、

野菜といちごとレストランを営む花茶さん。

 

今から、富山へ出張につき、続きはまた帰ってから書きます。

 

 

北海道地震のあと行かなければ経験しなかったこと。

 

 

つづく

 

 

ベジアナ・フリージャーナリスト・あゆみ

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